現存する日本最古の学校に、1939年昭和14年入学して漢学を学び易経を知る。1945年8月6日広島に原爆投下、爆心地より1.8kmの地で被爆するも身体に異常なし。学生時代の漢学恩師、女子大教授の有名な易学研究家の勉強会、易占研究塾等に足を運び易に関する知識を蓄積する。書道の師に基礎教育を受け、以来流派に所属する事なく我流ながら自分の個性を磨き形から型に仕上げる研究に努め今日に到っている。易学の大家であり、書道家でもある、東洋易学学会学長・日本表札相学協会家元の今は亡き、初代吉田龍永先生の直接指導の栄に浴くし、研鑽を重ね、学会最高位の易学士と表札書家の免許を戴き今日を迎えた。